祖父母いわく、'長子である私は家を継ぐ'ことが"普通"であり、それを当たり前とすることもまた"普通である"のだそうだ。
…いつの時代の話だろう?
驚くなかれ、世は平成、しかも平成すらも終わろうとしている、そんな現代である。
両親いわく、'一人っ子の私は彼らの老後の面倒を見る'ことが"普通である"そうだ。
普通。フツウ。不通。
あたしの将来とはなんだろう?
"私は将来、少なくとも彼らが死ぬまでは移動1時間30分以内の場所にいるべき" らしい。
1時間半…山の中だ。実家の立地を考えてものを言って欲しい。
"普通である"ことは、確かに、ある程度確定した未来を、"ある程度"の時期までは与えてくれる。
しかし、俺はそれを必要とはしていない。
俺は、それが自身の望むものではなかったとしても。
"普通である"べきなのだろうか。
誰かの決めた、"私のレール" 。
それに。従わなければいけないのだろうか。
なんて。現実から逃げ出したいだけの。
只の逃避でしかないなんて。
判りきってはいるのだけど。
それでも尚、逃げ出しきれずに。
希望を捨てきれないのは。
俺の。只の。甘えでしかない。
現実を受け入れる他。路はないのだ。