かまちょな廚二病患者の独り言(末期)

全て、何もかも起きた通りに書いています。もし詳細が気になったらコメント・連絡ください。追記します。

私の中の、あたしと自分と俺。

「自分の思う通りに言う前に、一呼吸置いて、相手を喜ばせたり、傷つけなかったりする言い回しを考えなさい」

確かに良好な人間関係を築くには重要なことだ。

だが。

小学校に上がる前の子供に言い聞かせるべきことではないのではないか。

 

徹底させ、無意識からすらも排除し得ないモノにすべきコトではないのではないか。

 

なんて。後の祭り。とどのつまり。

 

そう言われ続けてきた"子供"は、今。

誰とでも波風の立たない関係を維持できるようになった。

 

同時に、他者に対して好きも嫌いも抱けなくなった。

生き延びるにはとても便利で、でも自分にはとても不利なこと。

 

両親は、齡4つの私に対して言った。

「相手を慮って、喜ばせる言い方を考えなさい」

両親は、中学生のあたしに対して言った。

「そんな大人ぶった言い方する子供なんてかわいくない」

両親は、高校生の俺に対してこう言った。

「そんな風に育てた覚えなんてない」

 

貴方達が俺が俺で在り得る根源なのに。

 

その日からあたしは、両親からの質問には、何を問われても。解答がわかっていても。『わからない、どうして?』と返すようになった。

そう聞き返せば、あの人たちは喜ぶ。

 

その人は。こう言えばきっと喜ぶな。

あの人は。きっとこう言われたがっているな。

 

そんなことを常に考えて。

無意識の内に考えて。会話している。

 

「何が好きなの?」

この人は○○が好き、ならば私の答えは。

◇◇は○○に似ている。

『私は◇◇が好き!』

 

「これ、あげるね」

それ、もう持ってるし、それに苦手なんだよなぁ…。

『ありがとう!持ってないから欲しかったんだよね、大事にする!!』

 

「自分の好きなテーマでプレゼンを作ってください」

せんせい、おれはじぶんのすきなことがわからないので、あなたのすきなことについてなにかおしえてください。あぁ、貴方の専門は△△でしたね。

『△△の分野の、××について発表します』

 

もう、"自分"が何を考えているのかわからなくなって随分経つ。

 

俺の人生は"相手に望まれる自分"に支配されてからの方が長い。